劉 燕子【編訳】『黄翔の詩と詩想』

2020630日、中国で香港国家安全維持法が施行された。

さらに、202162、香港の天安門事件記念館が閉鎖された。

そして、天安門事件から33年目の本年64日、香港での追悼式典は開催が見送られた。

天安門事件は、当局の思惑どおり、今や忘られんとするかのようだ。

では、なぜ僕はこれらの本を読むのか?

それは、多くの人が忘れようとしているからであり、当局が忘却を望んでいるからである。

誰も読まないのなら、天邪鬼が読むしかない。/

 

 

黄翔の略歴:

1941年、中国湖南省に生まれる。

父は、国民党の高級将校で、後に中共の獄中で銃殺された。母は、上海の復旦大学卒。

49年以降母と離別し、階級差別(※1)により就学機会を失い、教育は小学校まで。

父の遺した日記に触れ、文学に目覚める。

78年、北京の「民主の壁」の時、建国後最初の民間文学グループ「啓蒙社」を創設し、雑誌「啓蒙」を創刊、現代新詩運動を唱導。

また、「大字報(壁新聞)」で、毛沢東文化大革命を批判した。

59年から95年までの間に6回投獄された。

最後の投獄では、最初の詩文集『黄翔ーー狂飲すれど酔わぬ野獣のすがた』が出版されるや直ちに発禁となり、拘留され、拷問を受けた。

以後、中国では迫害され、作品発表の機会を奪われ、97年、アメリカに亡命。/

 

階級差別

黄翔の出身は、いわゆる「黒五類」(革命的ではない階級で、地主、富農、反革命分子、不良分子、右派)であり、中国では忌み嫌われ、差別される。/

 

 

【自己を誉め讃えるを受けることに慣れきった一つの世界の中で、ぼくのは一つの世界の賞賛を犠牲にして独立自存する。】(  黄翔の詩と詩想)

 

 

【野獣  

ぼくは、追われ捕らえられる一匹の野獣だ 

ぼくは、たった今捕獲されたばかりの一匹の野獣だ 

ぼくは、野獣に踏みにじられる野獣だ 

ぼくは、野獣を踏みにじる野獣だ 

一つの時代がぼくを突き倒す 

また横目で見る 

足がぼくの鼻柱を踏みつける 

引き裂く 

噛む 

齧る 

齧り取って、ぼくはわずかな骨だけになる  

 

たとえぼくがたった一本の骨だけになろうとも 

ぼくはまた、この憎むべき時代の喉に引っかかってやる 】(同上)/

 

 

 

【変転の最も重要な兆しは、一九七八年年十月十一日、王府井大通りに黄翔と貴州のいく人かの青年が貼り出した詩です。(略)

ただ、当時の彼らのもの狂おしい態度は、(略)一陣の風を呼び起こすことができたのです。

 

ー中略ー

 

そして、このような黄翔のすがたを、現在アメリカに亡命している鄭義は、大江健三郎との往復書簡で「詩人が首都を覆いつくす赤色テロも恐れず、長編詩を繁華街の大きな壁に貼りだし、勇敢にも朗読を始めたのです(中略)人々はただちに『ついに始まった』ことを知り、静かに詩人の回りを囲みました。青年たちは手を繋ぎ腕を組んで人間の輪を作ったのです(中略)この詩人の呼びかけに答えて、壮観たる『民主の壁』運動が動き始め」たのです、と述べている。】(  中国現代詩における黄翔の位置)/

 

 

【当然、反抗には極めて重大な危険があり、それにふさわしい力量がなければ、敗北に終わる。しかも、支配体制は反抗を繰り返させないために、少しでも反抗すれば残酷に打ちのめし、また周囲にもそれを見せしめにして、後に反抗が続かないようにする。それでは、黄翔は打ちのめされたのだろうか?確かに、六回の投獄と亡命はそれを示している。しかし、それだけで終わってはいない。彼は繰り返される迫害に挫折せず、今でも創作を続けている。】(同上)/