『壁の涙 法務省「外国人収容所」の実態』

緩やかな 処刑機械と 人のいう 黒く塗りたる 入管の壁/

入管施設は、アジア・アフリカからの難民の「絶滅収容所」であり、アイヒマンの子らが甲斐甲斐しく働くそこは、「移送」(=送還)によって難民問題に「最終解決」をもたらすための施設なのだ。/

 

【日本に在留する外国人は、「入管法」と「外国人登録法(略)」とふたつの法律で管理されている。いずれも外国人管理を目的とした法律で、外国人の権利を定めたものではない。外国人の人権については現状では日本国憲法の、人権に関する考え方を準用するか、日本も加盟する条約などにうたわれた国際人権基準に基づいて判断することになる。本来は、在日外国人の権利について定める「外国人人権基本法」か必要であるし、(以下略)】

 

 

【入管収容施設、(略)、精神医療施設など、人の身体を拘束する拘禁施設ではときとしてこのような人権侵害の発生が報告されている。どうしてこのようなことがおこるのだろうか。

アメリカのスタンフォード大学で、学生を囚人グループと看守グループに分けて、(略)模擬監獄で二週間生活させるという実験がなされたことがある。しかし実験は六日目で中止を余儀なくされた。看守役の学生たちが日を追うごとに傲慢になって、容赦ない虐待をするようになり、それに囚人役が反発し始めたからである。(略)霊長類学者のド・ヴァール氏は(略)、人間の持つ「よそ者を毛嫌いするあまり、相手の人間性を否定する傾向」について指摘している。】/

 

 

【諸外国の中には、(略)、一定要件を満たす非正規滞在外国人を一斉に合法化するプログラム(=アムネスティ)を実施している国もあるが、日本では、個別の審査による合法化(在留特別許可)しか行われていない。】/

 

 

【被収容者の医療を受ける権利を保障するためには、入管から独立した第三者ので医療機関で診断と治療がなされなければならない。】/

 

 

韓国では、三権から独立した国家人権委員会が、チェック機能として一定の役割を果たしており、被収容者の処遇が改善されつつあるという。/

 

 

【わたしたちが法務省や入管に収容所の待遇改善を申し入れするたびに、法務省の官僚屋入管職員はいつも答えていました。  

「被収容者の処遇は法律にもとづいて行なわれている」「わたしたちにその責任はない」】/

 

この言葉が、アイヒマンの言葉を呼び起こす。/

 

【わたしは心の底では責任があるとは感じていませんでした。あらゆる責任から免除されていると感じていました。‥‥‥命令に従って義務を果たした。(略)」/

 

 

参議院法務委員会で入管法改正案が審議され、強行採決により可決されるのを見て、アレクシ・ド・トクヴィルの『アメリカにおけるデモクラシーについて』の一つの言葉を想起した。今、手元にトクヴィルの本がないので、ネットで検索したサイトから引用したい。/

 

トクヴィルは民主主義の欠点として「多数者の専制権力(tyranny of majority)」を指摘している。彼は「多数者の支配が絶対的であるということが、民主的政治の本質」であるといい、

 

(略)

 

世論が多数者を作り出す。立法団体も多数者を代表してこれに盲従している。執行権力も多数者によって任命される。警察は武装した多数者であり、陪審は逮捕を宣告する権利を与えられている多数者、さらに判事たち自身も一部の州では多数者によって選ばれているという状況では、少数派は不条理に遭遇しても誰にも訴えられない。》

(熊谷 晶子『アメリカの民主政治』/「スタッフが薦めるこの一冊'02」/独立行政法人経済産業研究所ホームページ「RIETI」より。)/

 

 

【「すべての者は、迫害からの庇護を他国に求め、かつ、これを他国で享受する権利を有する」(第一四条)「すべての者は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的もしくは社会的出身、財産、出生または他の地位等によるいかなる差別もなしに、この宣言に規定するすべての権利および自由を享受する権利を有する」(第二条)】(「世界人権宣言」より。)/

 

戦いは、まだまだ続きます。