映画『水俣曼荼羅』

小さき人たちの渾身の戦いの記録。

長くて暗いテーマだから、あまりほかに観る人もいないだろう。

天邪鬼の僕としては、永久保存版にして何度も観よう。

砂浜に打ちては返す波のように、人は水俣を繰り返すだろう、フクシマを繰り返すだろう。

所詮、人は他人の痛みなど分かりはしないのだ、分かろうとはしないのだ。/

 

 

少年は、浜で拾った貝をオヤツ代わりに食べていた。

弱ってバタバタ浮いている魚を家に持ち帰っては食べた。

その頃、近所でカラスの死骸をたくさん見かけた。

涎をたらして踊り狂う猫を見た。

「公害」と言い、「病」と言う。

加害者などどこにもいないかのよう。

チッソの加害にすぎないのに。

因果関係を産官学は認めない。

彼らは知っているのだ。

繁栄には痛みが伴うことを。

開発には人柱が必要なことを。

かくして、すべての社会的矛盾は弱者の周りに有機水銀のように沈澱する。

そして、多数者の専制が彼らの呻き声を踏み潰して行く。/

 

 

「来歴」

それは、何処から流れ出したのか?

ネクタイの下の

黒ずんで壊死した彼らの肺腑から

それは流れ出したのだ

 

それは、瘴気とともに

たえまなく流れ出し、

海を、魚を、貝を汚した

そして、最初に猫が死んだのだ

 

それを、いかにして彼らは

体内に蓄えたのか?

 

きっとムラサキ貝のように

周りから取り込んで

静かに濃縮させていたのだろう

 

何も知らぬ漁師たちが

ババのように それを引くまで/

 

 

人が水俣病を忘れるなら、僕は死ぬまで覚えておこう。

最近、「偏屈道」ということを思う。

一人の偏屈者として、人が読まない本を読み人が観ない映画を観て生きていきたい。

【読書感想文】金井美恵子『映画、柔らかい肌。映画にさわる』

Filmarksという映画のレビューサイトに登録しているが、普段映画を観ても、めったに感想は書かない。

本を読んだ後のようには、すっと言葉が出てこないのだ。

そんな僕からみると、次から次へと泉のごとく湧き出てくる金井美恵子の映画にまつわる蘊蓄はすごい。

だが、あまりにも僕と趣味が違うので、思わず笑ってしまう。/

 

 

 

【ーーよく、無人島に持っていく一冊の本は?という問いがあるでしょう。一本の映画といったら、何を持っていくか。(略)

金井 (略)ジャン・ヴィゴの『アタラント号』(一九三四)かな。(略)『新学期・操行ゼロ』(一九三二)もすごく好きだけど。】/

 

 

 

これは、ぜひ僕もやってみたい。一冊というからには、ある程度の長さはほしい。歴史物などがいいかもしれない。/

 


翰光(ハン・グァン)『亡命』/

クロード・ルルーシュ『愛と哀しみのボレロ』/

テオ・アンゲロプロスユリシーズの瞳』/

陳 凱歌(チェン・カイコー)『さらば、わが愛/覇王別姫』/

イワン・プイリエフ『カラマーゾフの兄弟』/

 


僕が思いつくのはこんなところだ。/

 

 

 

ゴダールは『映画史』の中で、ヒッチコックについて「完璧な宇宙を作りあげた全能者、映画という閉ざされた完璧な宇宙をーー」と語るのだが、(略)。

何ひとつ難しいことが語られたり映ったりするわけではないのだから、誰にでも見え、理解され、誰もがハラハラしたり夢心地になって、すっかりヒッチコックにだまされることに満足する娯楽映画。

小津安二郎の映画にも似たところがあって、戦前の映画にはしがない庶民や劣等生の学生たち(略)、戦後は小市民と、ややブルジョワ度の高い中産階級の親子関係と結婚ばなしが中心に据えられた上質のホームドラマ。誰にでも理解され、誰ものしみじみとした共感を誘い、深いのだけれど、あっさりとくどくなく語られる孤独感、俳句かなにかのような多くを語らずに示される豊かで洗練された日本的情緒を撮る名匠にして巨匠。

 


ー中略ー

 


小津の映画の秘密は、語り尽くされているように見えはするのだが、しかし、戦前の小津作品の、あの狂気じみてさえいる空間と時間の圧倒的な過激さ、宇宙のように完璧なカット割り、そして、あの奇妙なユーモア‥‥‥。何度でも繰り返し見たくなる完璧な宇宙としての映画ーー。】/

 

 

 

毒舌を持って鳴る金井からは想像もつかないようなベタ褒めぶりだが、《誰にでも理解され、誰ものしみじみとした共感を誘い、》や、《豊かで洗練された日本的情緒》のあたりには、世界文学においてロシア・フォルマリズムが行った[日常的に見慣れた事物を奇異なものとして表現する《非日常化》の方法](ヴィクトル・シクロフスキー『散文の理論』)、すなわち「異化」の方法とは対極にあるもののように感じられる。/

 

 

 

というわけで、金井との映画談義は最後まで噛み合わないのだった。

幼い頃から母の背中で映画を観て育った金井と、学生時代に少し映画にハマっていた時期があるだけの僕とでは、その映画的素養の差は明らかだ。

だが、それでもなお、頑迷にも僕は言おう。

私はイエスが分からない、ロラン・バルトが分からない、蓮實重彦が分からない、小津安二郎が分からない、私は映画が分からない、だから映画を観る、と。

入管職員・難民審査参与員必読図書・視聴覚教材20

図書:

◯『難民認定基準ハンドブック』(国連難民高等弁務官事務所

◯『別 冊 難民保護に関する国際基準 条約と指針』(国連難民高等弁務官事務所

日本国憲法

◯『世界人権宣言』

◯『入管問題とは何か――終わらない〈密室の人権侵害〉』(鈴木江理子 児玉晃一

◯『彼女はなぜ、この国で:入管に奪われたいのちと尊厳』(和田 浩明 毎日新聞入管難民問題取材班

『ルポ 入管 ――絶望の外国人収容施設』(平野 雄吾)

コンメンタール 出入国管理及び難民認定法 2012』(児玉 晃一ほか)

『となりの難民――日本が認めない99%の人たちのSOS』(織田 朝日)

◯『ある日の入管~外国人収容施設は生き地獄"~』(織田 朝日)

クルドの夢 ペルーの家 日本に暮らす難民・移民と入管制度』(乾 英理子)

◯『日本で生きるクルド人』(鴇沢 哲雄

◯『入管解体新書: 外国人収容所、その闇の奥』(山村淳平)

◯『壁の涙―法務省「外国人収容所」の実態』(「壁の涙」製作実行委員会 )

◯『使い捨て外国人: 人権なき移民国家、日本』(指宿昭一)

◯『やさしい猫』(中島 京子)

◯『国家と移民 外国人労働者と日本の未来』(鳥井 一平

◯『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』(安田浩一)

 

視聴覚教材:

◯『東京クルド』(監督:日向史有

◯『マイスモールランド』(監督:川和田恵真)

『壁の涙 法務省「外国人収容所」の実態』

緩やかな 処刑機械と 人のいう 黒く塗りたる 入管の壁/

入管施設は、アジア・アフリカからの難民の「絶滅収容所」であり、アイヒマンの子らが甲斐甲斐しく働くそこは、「移送」(=送還)によって難民問題に「最終解決」をもたらすための施設なのだ。/

 

【日本に在留する外国人は、「入管法」と「外国人登録法(略)」とふたつの法律で管理されている。いずれも外国人管理を目的とした法律で、外国人の権利を定めたものではない。外国人の人権については現状では日本国憲法の、人権に関する考え方を準用するか、日本も加盟する条約などにうたわれた国際人権基準に基づいて判断することになる。本来は、在日外国人の権利について定める「外国人人権基本法」か必要であるし、(以下略)】

 

 

【入管収容施設、(略)、精神医療施設など、人の身体を拘束する拘禁施設ではときとしてこのような人権侵害の発生が報告されている。どうしてこのようなことがおこるのだろうか。

アメリカのスタンフォード大学で、学生を囚人グループと看守グループに分けて、(略)模擬監獄で二週間生活させるという実験がなされたことがある。しかし実験は六日目で中止を余儀なくされた。看守役の学生たちが日を追うごとに傲慢になって、容赦ない虐待をするようになり、それに囚人役が反発し始めたからである。(略)霊長類学者のド・ヴァール氏は(略)、人間の持つ「よそ者を毛嫌いするあまり、相手の人間性を否定する傾向」について指摘している。】/

 

 

【諸外国の中には、(略)、一定要件を満たす非正規滞在外国人を一斉に合法化するプログラム(=アムネスティ)を実施している国もあるが、日本では、個別の審査による合法化(在留特別許可)しか行われていない。】/

 

 

【被収容者の医療を受ける権利を保障するためには、入管から独立した第三者ので医療機関で診断と治療がなされなければならない。】/

 

 

韓国では、三権から独立した国家人権委員会が、チェック機能として一定の役割を果たしており、被収容者の処遇が改善されつつあるという。/

 

 

【わたしたちが法務省や入管に収容所の待遇改善を申し入れするたびに、法務省の官僚屋入管職員はいつも答えていました。  

「被収容者の処遇は法律にもとづいて行なわれている」「わたしたちにその責任はない」】/

 

この言葉が、アイヒマンの言葉を呼び起こす。/

 

【わたしは心の底では責任があるとは感じていませんでした。あらゆる責任から免除されていると感じていました。‥‥‥命令に従って義務を果たした。(略)」/

 

 

参議院法務委員会で入管法改正案が審議され、強行採決により可決されるのを見て、アレクシ・ド・トクヴィルの『アメリカにおけるデモクラシーについて』の一つの言葉を想起した。今、手元にトクヴィルの本がないので、ネットで検索したサイトから引用したい。/

 

トクヴィルは民主主義の欠点として「多数者の専制権力(tyranny of majority)」を指摘している。彼は「多数者の支配が絶対的であるということが、民主的政治の本質」であるといい、

 

(略)

 

世論が多数者を作り出す。立法団体も多数者を代表してこれに盲従している。執行権力も多数者によって任命される。警察は武装した多数者であり、陪審は逮捕を宣告する権利を与えられている多数者、さらに判事たち自身も一部の州では多数者によって選ばれているという状況では、少数派は不条理に遭遇しても誰にも訴えられない。》

(熊谷 晶子『アメリカの民主政治』/「スタッフが薦めるこの一冊'02」/独立行政法人経済産業研究所ホームページ「RIETI」より。)/

 

 

【「すべての者は、迫害からの庇護を他国に求め、かつ、これを他国で享受する権利を有する」(第一四条)「すべての者は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的もしくは社会的出身、財産、出生または他の地位等によるいかなる差別もなしに、この宣言に規定するすべての権利および自由を享受する権利を有する」(第二条)】(「世界人権宣言」より。)/

 

戦いは、まだまだ続きます。

『壁の涙 法務省「外国人収容所」の実態』

緩やかな 処刑機械と 人のいう 黒く塗りたる 入管の壁/

入管施設は、アジア・アフリカからの難民の「絶滅収容所」であり、アイヒマンの子らが甲斐甲斐しく働くそこは、「移送」(=送還)によって難民問題に「最終解決」をもたらすための施設なのだ。/

 

【日本に在留する外国人は、「入管法」と「外国人登録法(略)」とふたつの法律で管理されている。いずれも外国人管理を目的とした法律で、外国人の権利を定めたものではない。外国人の人権については現状では日本国憲法の、人権に関する考え方を準用するか、日本も加盟する条約などにうたわれた国際人権基準に基づいて判断することになる。本来は、在日外国人の権利について定める「外国人人権基本法」か必要であるし、(以下略)】

 

 

【入管収容施設、(略)、精神医療施設など、人の身体を拘束する拘禁施設ではときとしてこのような人権侵害の発生が報告されている。どうしてこのようなことがおこるのだろうか。

アメリカのスタンフォード大学で、学生を囚人グループと看守グループに分けて、(略)模擬監獄で二週間生活させるという実験がなされたことがある。しかし実験は六日目で中止を余儀なくされた。看守役の学生たちが日を追うごとに傲慢になって、容赦ない虐待をするようになり、それに囚人役が反発し始めたからである。(略)霊長類学者のド・ヴァール氏は(略)、人間の持つ「よそ者を毛嫌いするあまり、相手の人間性を否定する傾向」について指摘している。】/

 

 

【諸外国の中には、(略)、一定要件を満たす非正規滞在外国人を一斉に合法化するプログラム(=アムネスティ)を実施している国もあるが、日本では、個別の審査による合法化(在留特別許可)しか行われていない。】/

 

 

【被収容者の医療を受ける権利を保障するためには、入管から独立した第三者ので医療機関で診断と治療がなされなければならない。】/

 

 

韓国では、三権から独立した国家人権委員会が、チェック機能として一定の役割を果たしており、被収容者の処遇が改善されつつあるという。/

 

 

【わたしたちが法務省や入管に収容所の待遇改善を申し入れするたびに、法務省の官僚屋入管職員はいつも答えていました。  

「被収容者の処遇は法律にもとづいて行なわれている」「わたしたちにその責任はない」】/

 

この言葉が、アイヒマンの言葉を呼び起こす。/

 

【わたしは心の底では責任があるとは感じていませんでした。あらゆる責任から免除されていると感じていました。‥‥‥命令に従って義務を果たした。(略)」/

 

 

参議院法務委員会で入管法改正案が審議され、強行採決により可決されるのを見て、アレクシ・ド・トクヴィルの『アメリカにおけるデモクラシーについて』の一つの言葉を想起した。今、手元にトクヴィルの本がないので、ネットで検索したサイトから引用したい。/

 

トクヴィルは民主主義の欠点として「多数者の専制権力(tyranny of majority)」を指摘している。彼は「多数者の支配が絶対的であるということが、民主的政治の本質」であるといい、

 

(略)

 

世論が多数者を作り出す。立法団体も多数者を代表してこれに盲従している。執行権力も多数者によって任命される。警察は武装した多数者であり、陪審は逮捕を宣告する権利を与えられている多数者、さらに判事たち自身も一部の州では多数者によって選ばれているという状況では、少数派は不条理に遭遇しても誰にも訴えられない。》

(熊谷 晶子『アメリカの民主政治』/「スタッフが薦めるこの一冊'02」/独立行政法人経済産業研究所ホームページ「RIETI」より。)/

 

 

【「すべての者は、迫害からの庇護を他国に求め、かつ、これを他国で享受する権利を有する」(第一四条)「すべての者は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的もしくは社会的出身、財産、出生または他の地位等によるいかなる差別もなしに、この宣言に規定するすべての権利および自由を享受する権利を有する」(第二条)】(「世界人権宣言」より。)/

 

戦いは、まだまだ続きます。

難民審査参与員制度の抜本的改革に向けて

難民審査参与員は、法務大臣が恣意的に任命している。

三人一組で事案を審理している。

三人の組み合わせは、法務大臣が恣意的に決定している。

一人の参与員が担当する事案の件数も、法務大臣が恣意的に割り当てている。

年に1000件以上処理する参与員がいるかと思うと、年に数件しか割り振られない者もいる。

つまり、もし仮に、法務大臣が難民を極力認定しないようにしたいと思えば、三人の組み合わせを決める段階で、いかようにも細工が可能なシステムとなっている。

例えば、2005年の制度創設以来、大量の件数(20221231件、20211378件)を処理してきた柳瀬房子氏は、外務省から年間2億7千万円(2021年度)もの補助金の交付を受けているNGO難民を助ける会の元理事長・会長であり、現名誉会長である。

同様に年に1000件もの事案を処理してきたという浅川参与員は、たくさん御著書を出している学者先生である。

あいにく、小生、手元不如意につき、先生の御著書を購入して拝読することは困難であるが、その御著書(『ザ・在日特権』、『「在日」論の嘘―贖罪の呪縛を解く』)の書名を見るだけで、どのように公平な思想をお持ちの先生なのか大体見当がつきそうだ。

つまり、お二人は、大量審査を担当する臨時班に、選ばれるべくして選ばれたのだ。

要するに、法務省は、入管側の作成した(案)を可能な限り追認できるようなシステムを構築しておいて、あたかも不服審査を公平に行ったかのような体裁を取り繕っているのだ。

このような根っこから腐ったシステムを、世界に恥じない、より公平なものにするために、僕は、参与員の選定にあたって、労働委員会方式※を採用することを提言します。

参与員の場合、さしずめ、公益委員は学者・研究者など、労働者委員は支援団体や弁護士など、使用者委員が法務省つながりである裁判官、検事といったところだろうか?

もとより、半可通の単なる思いつきに過ぎませんが、ジャーナリストでも学者でもない僕が、あえてこんな事を提案するのは、現行の「処刑機械」たる難民認定システムを、もっと血の通ったシステムに改善したいと思うからです。

最後に、言い訳として、ジル・ドゥルーズの言葉を引用します。

 

 

【「まさに知らないことについてこそ、かならずや言うべきことがあると思える。ひとは、おのれの知の尖端でしか書かない、すなわち、わたしたちの知とわたしたちの無知とを分かちながら、しかもその知とその無知をたがいに交わらせるような極限的な尖端でしか書かないのだ。」】(ジル・ドゥルーズ『差異と反復』)

 

もちろん、ご想像のとおり、僕はまだ『差異と反復』を読んではおりませんが。

 

 

労働委員会方式:

労働委員会は公益委員(弁護士など),労働者委員(労働組合の役員など),使用者委員(企業経営者・使用者団体役員など)の三者同数の委員で構成されており,公平な第三者として紛争解決に助力します。

劉 燕子【編訳】『黄翔の詩と詩想』

2020630日、中国で香港国家安全維持法が施行された。

さらに、202162、香港の天安門事件記念館が閉鎖された。

そして、天安門事件から33年目の本年64日、香港での追悼式典は開催が見送られた。

天安門事件は、当局の思惑どおり、今や忘られんとするかのようだ。

では、なぜ僕はこれらの本を読むのか?

それは、多くの人が忘れようとしているからであり、当局が忘却を望んでいるからである。

誰も読まないのなら、天邪鬼が読むしかない。/

 

 

黄翔の略歴:

1941年、中国湖南省に生まれる。

父は、国民党の高級将校で、後に中共の獄中で銃殺された。母は、上海の復旦大学卒。

49年以降母と離別し、階級差別(※1)により就学機会を失い、教育は小学校まで。

父の遺した日記に触れ、文学に目覚める。

78年、北京の「民主の壁」の時、建国後最初の民間文学グループ「啓蒙社」を創設し、雑誌「啓蒙」を創刊、現代新詩運動を唱導。

また、「大字報(壁新聞)」で、毛沢東文化大革命を批判した。

59年から95年までの間に6回投獄された。

最後の投獄では、最初の詩文集『黄翔ーー狂飲すれど酔わぬ野獣のすがた』が出版されるや直ちに発禁となり、拘留され、拷問を受けた。

以後、中国では迫害され、作品発表の機会を奪われ、97年、アメリカに亡命。/

 

階級差別

黄翔の出身は、いわゆる「黒五類」(革命的ではない階級で、地主、富農、反革命分子、不良分子、右派)であり、中国では忌み嫌われ、差別される。/

 

 

【自己を誉め讃えるを受けることに慣れきった一つの世界の中で、ぼくのは一つの世界の賞賛を犠牲にして独立自存する。】(  黄翔の詩と詩想)

 

 

【野獣  

ぼくは、追われ捕らえられる一匹の野獣だ 

ぼくは、たった今捕獲されたばかりの一匹の野獣だ 

ぼくは、野獣に踏みにじられる野獣だ 

ぼくは、野獣を踏みにじる野獣だ 

一つの時代がぼくを突き倒す 

また横目で見る 

足がぼくの鼻柱を踏みつける 

引き裂く 

噛む 

齧る 

齧り取って、ぼくはわずかな骨だけになる  

 

たとえぼくがたった一本の骨だけになろうとも 

ぼくはまた、この憎むべき時代の喉に引っかかってやる 】(同上)/

 

 

 

【変転の最も重要な兆しは、一九七八年年十月十一日、王府井大通りに黄翔と貴州のいく人かの青年が貼り出した詩です。(略)

ただ、当時の彼らのもの狂おしい態度は、(略)一陣の風を呼び起こすことができたのです。

 

ー中略ー

 

そして、このような黄翔のすがたを、現在アメリカに亡命している鄭義は、大江健三郎との往復書簡で「詩人が首都を覆いつくす赤色テロも恐れず、長編詩を繁華街の大きな壁に貼りだし、勇敢にも朗読を始めたのです(中略)人々はただちに『ついに始まった』ことを知り、静かに詩人の回りを囲みました。青年たちは手を繋ぎ腕を組んで人間の輪を作ったのです(中略)この詩人の呼びかけに答えて、壮観たる『民主の壁』運動が動き始め」たのです、と述べている。】(  中国現代詩における黄翔の位置)/

 

 

【当然、反抗には極めて重大な危険があり、それにふさわしい力量がなければ、敗北に終わる。しかも、支配体制は反抗を繰り返させないために、少しでも反抗すれば残酷に打ちのめし、また周囲にもそれを見せしめにして、後に反抗が続かないようにする。それでは、黄翔は打ちのめされたのだろうか?確かに、六回の投獄と亡命はそれを示している。しかし、それだけで終わってはいない。彼は繰り返される迫害に挫折せず、今でも創作を続けている。】(同上)/