【読書感想文】金井美恵子『映画、柔らかい肌。映画にさわる』

Filmarksという映画のレビューサイトに登録しているが、普段映画を観ても、めったに感想は書かない。

本を読んだ後のようには、すっと言葉が出てこないのだ。

そんな僕からみると、次から次へと泉のごとく湧き出てくる金井美恵子の映画にまつわる蘊蓄はすごい。

だが、あまりにも僕と趣味が違うので、思わず笑ってしまう。/

 

 

 

【ーーよく、無人島に持っていく一冊の本は?という問いがあるでしょう。一本の映画といったら、何を持っていくか。(略)

金井 (略)ジャン・ヴィゴの『アタラント号』(一九三四)かな。(略)『新学期・操行ゼロ』(一九三二)もすごく好きだけど。】/

 

 

 

これは、ぜひ僕もやってみたい。一冊というからには、ある程度の長さはほしい。歴史物などがいいかもしれない。/

 


翰光(ハン・グァン)『亡命』/

クロード・ルルーシュ『愛と哀しみのボレロ』/

テオ・アンゲロプロスユリシーズの瞳』/

陳 凱歌(チェン・カイコー)『さらば、わが愛/覇王別姫』/

イワン・プイリエフ『カラマーゾフの兄弟』/

 


僕が思いつくのはこんなところだ。/

 

 

 

ゴダールは『映画史』の中で、ヒッチコックについて「完璧な宇宙を作りあげた全能者、映画という閉ざされた完璧な宇宙をーー」と語るのだが、(略)。

何ひとつ難しいことが語られたり映ったりするわけではないのだから、誰にでも見え、理解され、誰もがハラハラしたり夢心地になって、すっかりヒッチコックにだまされることに満足する娯楽映画。

小津安二郎の映画にも似たところがあって、戦前の映画にはしがない庶民や劣等生の学生たち(略)、戦後は小市民と、ややブルジョワ度の高い中産階級の親子関係と結婚ばなしが中心に据えられた上質のホームドラマ。誰にでも理解され、誰ものしみじみとした共感を誘い、深いのだけれど、あっさりとくどくなく語られる孤独感、俳句かなにかのような多くを語らずに示される豊かで洗練された日本的情緒を撮る名匠にして巨匠。

 


ー中略ー

 


小津の映画の秘密は、語り尽くされているように見えはするのだが、しかし、戦前の小津作品の、あの狂気じみてさえいる空間と時間の圧倒的な過激さ、宇宙のように完璧なカット割り、そして、あの奇妙なユーモア‥‥‥。何度でも繰り返し見たくなる完璧な宇宙としての映画ーー。】/

 

 

 

毒舌を持って鳴る金井からは想像もつかないようなベタ褒めぶりだが、《誰にでも理解され、誰ものしみじみとした共感を誘い、》や、《豊かで洗練された日本的情緒》のあたりには、世界文学においてロシア・フォルマリズムが行った[日常的に見慣れた事物を奇異なものとして表現する《非日常化》の方法](ヴィクトル・シクロフスキー『散文の理論』)、すなわち「異化」の方法とは対極にあるもののように感じられる。/

 

 

 

というわけで、金井との映画談義は最後まで噛み合わないのだった。

幼い頃から母の背中で映画を観て育った金井と、学生時代に少し映画にハマっていた時期があるだけの僕とでは、その映画的素養の差は明らかだ。

だが、それでもなお、頑迷にも僕は言おう。

私はイエスが分からない、ロラン・バルトが分からない、蓮實重彦が分からない、小津安二郎が分からない、私は映画が分からない、だから映画を観る、と。