映画『水俣曼荼羅』

小さき人たちの渾身の戦いの記録。

長くて暗いテーマだから、あまりほかに観る人もいないだろう。

天邪鬼の僕としては、永久保存版にして何度も観よう。

砂浜に打ちては返す波のように、人は水俣を繰り返すだろう、フクシマを繰り返すだろう。

所詮、人は他人の痛みなど分かりはしないのだ、分かろうとはしないのだ。/

 

 

少年は、浜で拾った貝をオヤツ代わりに食べていた。

弱ってバタバタ浮いている魚を家に持ち帰っては食べた。

その頃、近所でカラスの死骸をたくさん見かけた。

涎をたらして踊り狂う猫を見た。

「公害」と言い、「病」と言う。

加害者などどこにもいないかのよう。

チッソの加害にすぎないのに。

因果関係を産官学は認めない。

彼らは知っているのだ。

繁栄には痛みが伴うことを。

開発には人柱が必要なことを。

かくして、すべての社会的矛盾は弱者の周りに有機水銀のように沈澱する。

そして、多数者の専制が彼らの呻き声を踏み潰して行く。/

 

 

「来歴」

それは、何処から流れ出したのか?

ネクタイの下の

黒ずんで壊死した彼らの肺腑から

それは流れ出したのだ

 

それは、瘴気とともに

たえまなく流れ出し、

海を、魚を、貝を汚した

そして、最初に猫が死んだのだ

 

それを、いかにして彼らは

体内に蓄えたのか?

 

きっとムラサキ貝のように

周りから取り込んで

静かに濃縮させていたのだろう

 

何も知らぬ漁師たちが

ババのように それを引くまで/

 

 

人が水俣病を忘れるなら、僕は死ぬまで覚えておこう。

最近、「偏屈道」ということを思う。

一人の偏屈者として、人が読まない本を読み人が観ない映画を観て生きていきたい。