胡平『言論の自由と中国の民主』
本書は、2009年6月4日に出版されている。
訳者が本論文の翻訳に着手したのは2008年の秋とのことだが、天安門事件二十周年の日に見事に間に合わせたわけである。
僕としても、できれば6月4日に読了したかったのだが、生来の怠け者ゆえ叶わなかった。/
◯著者略歴、本論文の経緯
胡平は、1947年、北京に生まれ、文化大革命に際し、四川省の農村に5年間下放された。
78年、北京大学修士課程に入学し、民主化運動「北京の春」に参加。
75年、本論文の第1稿を書き、「北京の春」の79年には、第4稿を雑誌「沃土」に発表、壁新聞で公開した。
その後、胡平は政治体制改革論議が急速に後退していく中で、87年アメリカに留学し、ハーバード大学博士課程に入学。以後、アメリカに留まる。
89年、天安門事件に際し、アメリカから「中国の大学生に宛てた公開書簡」を送った。
中国民主団結連盟主席、雑誌『北京の春』編集主幹などを歴任。/
◯本論文の内容
【そして、とうとう、私は、言論の自由こそが最も重要な問題であるという結論に達した。なぜなら、全体主義的統治(略)は、全面的な思想統制の助けを借りて、無比強大なものへと変容しているが、それは、言論の自由の原則を公に否認できないために、自らのきわめて虚弱な一面をもさらけ出しているからである。ひとたび、人々の思想・言論に対する統制を失えば、全体主義的統治(略)は、その力量のすべてを喪失するであろう。】/
【さらに、「六四」の大虐殺を境にして、中国共産党政権がこれまでずっと標榜してきた「人民の政府」という神話は完全に崩壊し、中国共産党政権は赤裸々な暴力統治にその姿を変容させた。暴力統治は、多数の民衆が政治的に消極・冷淡になり、犬儒主義(シニシズム)が流行することを意味している。】/
【このようにマルクス主義を未来の世界を含む一切の答案の中で神の著作とみなすのは、明らかに宗教崇拝の表現の一つである。】/
【プーシキン(略)は、ロシア皇帝エカチェリーナ2世の治世時に彼女について論じたことがある。「もし、政治が人々の弱点を利用して彼らを管理する芸術であるとすれば、彼女は、偉大な政治家の一人であるといえよう。」この言葉は、ある意義において、専制統治の奥妙を暴露している。人々の弱点とは何か。ゴーリキー(略)は名言を残している。「人類の最大の敵は、彼自身の意志の薄弱と愚昧である。反対に、我々は、民主実現の秘密も知っている。それは、勇敢と賢明である。」(『ロシア文学史』)。】/
【アインシュタイン(略)の「もし、ドイツの知識人が、ヒトラーに忠誠を誓うよりも監獄に入ることを望んだのであれば、ドイツの悲劇は繰り返されなかったであろう」という発言も正しい。】/
【民主は、生産を促進するという利点があるだけでなく、それ自身に価値がある。人の尊厳、人の権利、人間性の調和のとれた自由な発展は、決してただの空論ではない。それゆえ、民主を放棄する代わりに経済の進歩を得るということは、必ずやきわめて大きな害悪を残すことになろう。】/
【アリストテレス(略)は、次のように指摘している。「様々な動物の中で、唯一人間のみが言語の機能を具えている。声は喜びと悲しみを表現することができる。一般の動物は、すべて発声の機能を有しており、彼らは、この機能を用いて、それぞれの喜怒哀楽を相互に伝達することができる。しかしながら、あることが有益かそれとも有害か、正義に合致するかそれとも合致しないか、これらは、言語を用いて説明しなければならない。人類が他の動物と異なるのは、人類が、善悪是非・正義不正義の認識について、言語を用いて相互に伝達・交流することができるところにある」(『政治学』)】/
◯批判点
レーニンへの評価が甘過ぎる点は指摘しておきたい。/
【偉大なるレーニンが、一貫して正確な路線を堅持することができたのは、彼が反対派を取り締まらなかったという英明な措置と切り離すことができない。】/
【レーニンは「粛清」を行わなかったが、ソビエト政権はそれでも困難な状況を乗り越えた。】/
これらの部分だが、実際にはレーニンは、反ボリシェヴィキ勢力による政権転覆を防止するため、秘密警察組織(チェーカー)の創設を命じた。
レーニンは旧体制を転覆し、革命の成功を確実にするには恐怖と暴力が不可欠であると提唱し、死刑撤廃にも強く反対した。
また、レーニンは農民の反乱を鎮圧するため「最低でも100人の名の知れた富農、金持ち、吸血者」を公衆の目前で絞首刑にするよう命じた。(ウィキペディアより。)/
◯本書の意義
言論の自由は、ほぼ確立されているかのように思われるこの日本においても、2016年には高市総務大臣が放送局の「停波」に言及している。/
【「国論を二分する政治課題で一方の政治的見解を取り上げず、ことさらに他の見解のみを取り上げてそれを支持する内容」に対し、「行政指導しても全く改善されず、公共の電波を使って繰り返される場合、それに対して何の対応もしない(停波を行わない)と約束するわけにいかない」と発言した。】(「2016年の「放送界」を振り返る・・撤回されていない高市総務相「停波」発言」2016/12/28、碓井広義)/
ちなみに、2021年の世界報道自由度ランキングを見てみると、日本は67位と決して高くはない。(中国:177位。ロシア:150位。)
これらの点からも、本書が読み継がれる意味はあると言えるのではないか。/
児玉晃一『難民判例集』
二十年前に出版されたこの判例集を読むことにどんな意味があるのか、いまひとつ定かではないが、ただいま「読書デモ」中であり、先日読んだ『入管問題とは何か――終わらない〈密室の人権侵害〉』の著者、児玉晃一さんの本が読みたかったので、手に取った。/
【⑥名古屋高裁平成16年2月2日決定(略)
ビルマ難民に対して発付された退去強制令書の収容部分・送還部分の執行停止が高裁段階でも認められた事例
「回復の困難な損害を避けるための緊急の必要」
「収容(拘禁)が違法なものであった場合、それによって被った損害は原則として金銭により賠償されることになるところ、拘禁反応は精神的なものであり、拘禁反応により精神に変調を来した場合には、慰謝料等により損害を償うとしても、精神状態について回復をもたらすわけではなく、しかも、精神的なものであるから、かかる損害は回復困難な損害に該当すると認めるのが相当である。(略)」】/
◯収容所での死亡者数(1993年〜2022年):26人/
死因:病死(脳血管疾患や心筋梗塞など)16人、自殺8人、暴行死2人/
(山村淳平著『入管解体新書: 外国人収容所、その闇の奥』)/
《自殺未遂者はあとをたたず、2009年以降は年間40人以上にものぼっている(略)。この間の自殺者は、2008年1人(略)、2009年1人(略)、2010年2人(略)、2018年1人(略)、2022年1人(略)である。》(同上)/
このように医療体制が整備されていない現状を鑑みれば、入管の全件収容主義及び無期限長期収容は、
「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。 」と定めた憲法第31条に違反していないだろうか?/
外国人の人権享有主体性については、
[総論]:
学説:
否定説・準用説、肯定説があり、肯定説はさらに、文言説と性質説に分かれるが、憲法が保障する人権の性質によって、外国人に対し、人権が保障されるか否か、判断するとする肯定説が通説とされている。/
判例:
「外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、右のような外国人在留制度のわく内で与えられているにすぎない」(マクリーン事件判決)/
[各論]:
人身の自由:
《外国人は、人身の自由も享有する。(略)憲法第31条の、外国人への適用の有無を問われて、高辻正巳内閣法制局長官(当時)は、「三十一条の法意が外国人に適用になることは当然」であると答弁している。》(那須俊貴「憲法と外国人」)/
《入管法上の強制処分にも憲法31条が準用されると解される。》(大橋 毅 弁護士・児玉晃一 弁護士『「全件収容主義」は誤りである』)/
https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_999336_po_20080113.pdf?contentNo=13
大橋 毅 弁護士・児玉晃一 弁護士『「全件収容主義」は誤りである』:
鴇沢哲雄『日本で生きるクルド人』
著者は、2008年に毎日新聞川口通信部に赴任する。そこには、たくさんのクルド人が住んでいた。
著者が、毎日新聞埼玉版に、2017年12月から2018年8月まで、24回にわたって連載した「故郷遥か 川口のクルド人」を基に、全面的に書き下ろしたもの。
映画『東京クルド』(監督: 日向史有、 エミ・ウエヤマ、 本木敦子/2021年)や『マイスモールランド』(監督: Emma Kawawada、 川和田恵真/2022年)を観る前や観た後で読むと、クルド人に対する理解が一層深まるのではないか。
現在の日本の入管・難民認定制度の矛盾を、制度面からではなく、クルド人の生活の側から描いている。
とても読みやすいので、入管・難民問題への入門書としていいのではないか。/
茨城県牛久市にある東日本入国管理センターの施設に2年以上も収容されているベラットさん(次兄マズイムさんの言):
【「入管職員は歯が痛くても病院にも行かせないし、薬もくれない。(略)歯が痛くて大声を挙げたり、精神的に追い詰められ怒ったりすると、拘束して独房に入れるんだ。拷問と同じだ。難民申請している人に拷問のような痛みを与えている。
弟はタオルで自分の首を絞めたこともある。(略)ママは心臓が悪いのに、心配でいつも泣いている。この間牛久に会いに行った。弟が『もう我慢できないから自殺する』と言ったので、ママは『しないで、しないで』とお願いしていた。3カ月ほど前から弟の精神状態が不安定になり、家族みんな心配している」。】/
イブラヒムさん(2014年から2015年にかけて1年2カ月、2017年から7カ月収容):
【「もう二度と傷つけないでね」。クルド人の夫イブラヒムさんに日本人の妻は泣きながら告げた。
2018年3月下旬のある日、東京入管7階にある面会室の出来事だ。1週間ほど前、夫から一日置きにかかってくる電話が途切れ、心配していた矢先に支援団体のメンバーから「(イブラヒムさんが)収容施設内で体中を傷つけ、一人部屋で監視されている」と聞かされた。
妻が不安を押し殺しながら待っている面会室、そのドアを開けて入ってきた夫の腕には長さ5〜6センチ、幅が5ミリほどの傷跡があり、首や手首などにも数十カ所の切り傷が残されていた。(略)2人は泣きながら見つめ合い、透明なガラス越しに互いの手のひらをぴったりと合わせた。面会時間の30分間、ただ泣き続けるしかなかった。】/
イナンさん:
2003年に17歳で初来日。難民申請するも、入管に1年半収容され、帰国。
2012年に再来日。結婚して妻と2人の子どもがいた。家族は2013年に呼び寄せた。その後ずっとビザは更新できていたが、難民申請が却下され、2017年11月に収容された。/
【「家族は両親と弟が5人。ヤギを飼い畑を耕した。山で羊の世話をした。(略)1980年ごろから政治情勢が厳しくなり、クルドの男たちは暴力をふるわれ、おじたちはドイツやイギリスに逃げた。妻の父も指を切り落とされたと聞いた。
ヨーロッパでは助けるよ。おじは『なぜお前が捕まっているのか。難民なら捕まることはないよ。家族をばらばらにすることはないよ』と言った。難民を助けると思ったから日本に来た。でも、日本は難民をいじめる国だった。ここは刑務所と同じ。いやそれ以上だ。収容施設にいつまでいるかもわからない。刑期がないから刑務所以上に精神的な拷問を加えている」。】/
【日本にとってトルコは中東地域における友好国で、クルド人を難民と認めることはトルコ政府による政治的迫害を認めることを意味している。このことが日本でクルド人が難民として認められない政治的な背景とされている。】/
仮放免中の男性(2009年、親族の女性をトルコから呼び寄せて結婚、8歳から3歳までの3人の子の父親。):
【「ヨーロッパにいたらビザがもらえたはずだ。一度トルコに戻らないとヨーロッパには行けないけど、トルコには帰れない。仮放免では働けないというけど、じゃあ、国で家族の面倒を見てくれるのか。(略)強制送還(治安問題)を扱う入管が、難民(人権問題)を取り扱うのはおかしいよ」。】
指宿昭一『使い捨て外国人』
「強制労働」改め 「技能実習」と呼ぶ。あ〜らほんとに現代的だわね!/
◯緩やかな 処刑機械と 人のいう 黒く塗りたる 入管の壁/
簡潔にして明瞭。
蝶のように舞い、蜂のように(本質を)刺す。
これぞ良書である。
【厚生労働省の「外国人技能実習生の実習実施者に対する監督指導、送検等の状況(平成三〇年)によると、二〇一八(略)年には、全国の労働基準監督機関が、実習実施者に対して、七三三四件の監督指導を実施し、その七〇・四%にあたる五一六〇件で労働基準関係法令違反が認められている。】(第1章 外国人労働者と人権)/
にもかかわらず、技能実習生は、①送り出し機関との約束②職場移動の自由がない③ 送り出し機関への借金④強制帰国の恐怖などの理由で、違反を申告できない状況にある。/
【これは、現代の強制労働ではないのか。】(同上)/
主な違反事項は、①労働時間(二三・三%)、②安全基準(二二・八%)③割増賃金の支払い(一四・八%)などである。/
【収容が長期化すれば、ほとんどの被収容者はストレスなどで病気にかかる。(略)ところが、入管では速やかに診療を受ける機会が保障されていない。(略)被収容者が高血圧で昏倒し、意識を失ったので、同室の被収容者たちが、入管職員に「早く医者に診せてください」と頼んだところ、「診療願を書かないと診せられない」と述べた。(略)同室の被収容者が、「私が代わりに書くから(略)」と頼むと、「診療願は本人が書かないと受け取れない」といったそうだ。(略)医師の診療が受けられたのは昏倒から六日後であった。(略)入管は、被収容者に速やかに診療を受けさせることができないのは常勤医の確保が困難だからと説明している。(略)被収容者は、他のすべての人と同じように医療を受ける権利がある。これを保障できないなら、入管は人を収容する資格がない。すぐにすべての被収容者の拘束を解き、仮放免すべきである。】(第2章 入管政策と人権)/
“Asian Lives Matter”
“African Lives Matter”
和田浩明『彼女はなぜ、この国で』
ウィシュマさん死亡事件は、最低でも業務上重過失致死罪、いや違う、そんななまやさしいものではない。
この事件こそ不作為による殺人罪ではないだろうか?
病気の症状を訴え、病院に連れていってほしいとのウィシュマさんの必死の訴えに対して、頭から詐病と断じ、病院に連れて行かずに死に至らしめた入管側の判断には、もし、病気が本当で、治療が遅れたことで結果としてウィシュマさんが死ぬようなことがあっても、それはそれで仕方がないという未必の故意があったのではないだろうか?/
入管施設、いや日本の入管制度そのものが、フランツ・カフカ「流刑地にて」の処刑機械なのだ。/
◯収容所での死亡者数(1993年〜2022年):26人/
死因:病死(脳血管疾患や心筋梗塞など)16人、自殺8人、暴行死2人/
(山村淳平著『入管解体新書: 外国人収容所、その闇の奥』)/
この数字は、氷山の一角に過ぎないだろう。
【入管内の医療対応は普段から不十分で、「病気が重症化して命の危険が生じると仮放免にするケースが多い。(施設内で)死んだら都合が悪いからでしょう」】(NPO「北関東医療相談会」代表 長澤氏)/
ウィシュマさんの死は、決して初めてのケースではなく、最後でもないだろう。
なんとしても、この非人間的なシステムを変えなくてはならない。/
合計4年半も入管施設に収容され、心と体を病んだイラン人のサファリさんは、法廷での意見陳述で、声を振り絞った。/
【「オーバーステイ(略)は間違いない。でも、私たちは人間ですよ。日本が好きだから30年いる。帰れない理由がある。命にかかわる問題だから帰れない。そこをちゃんと調べないで、自分らであなただめ、だめ、だめと言われたら、私たちはどうしたらいいのか。今まで日本で暮らして日本の文化が体に染みついている‥‥‥どうして入管はそうやって私たちをいじめるのか。私たちは日本という国に助けを求めているのに、どうしてそうやって私たちを蔑むんですか‥‥‥ほとんど刑務所と同じ扱いじゃないか。どうして?ほかの国だったらともかくさ、ここは日本だよ‥‥‥」】/
鈴木江理子 ・児玉晃一 編著『入管問題とは何か』
入管施設における死亡事案に関しては、先日読んだ『入管解体新書』の感想に書いたので、ここでは割愛する。/
《社会世界の端役である女性たちには、最後の行き場として、あらゆる危機の影響が、どうしようもなく収斂するのである。》(ピエール・ブルデュー『世界の悲惨Ⅱ』)/
この国において、あらゆる矛盾が収斂していくのは、非正規滞在の外国人・難民の下ではないだろうか?
逆に言えば、入管問題にはこの国の諸制度の根底にある非人間性が端的に現れているのではないだろうか?/
ここで、五十年前の言葉を引用したい。/
【入管問題は決して在日「外国人」の問題でなく、抽象的な人権・人道一般の問題でもない。それはアジアにおける常なる抑圧者たる日本人=我々自身と、被抑圧者たる朝鮮人、中国人との関係ーーわれらの内なる差別(略)ーーを問題とすることであり、さらにはそれを規定する要因、すなわち明治維新以来の近代化に名を借りたアジア諸民族に対する抑圧と、六〇年代後半から明らかにその姿を見せはじめた日本帝国主義の自立化=アジア侵略を問題とすることなのである。】/
五十年たって入管施設に収容されている人々の国籍こそ大きく変化はしたが、問題の本質はなんら変わっていないのではないか?
ひょっとしたら、入管問題には、潰え去った日本帝国主義の夢の残滓がいまだに燻り続けているのかも知れない。/
コロナ禍において、アメリカではアジア人に対する激しい暴力が噴出した。
日本では外国人に対して、そこまでの暴力は見られない。
だが、異様に低い難民認定率(※1)や無期限収容などの難民鎖国とも言うべき政策は、アジア・アフリカの人々に対するヘイトの日本的な表現形式なのではないだろうか?/
【問題点
(略)
① 収容の必要性を検討せずに収容することができること
② 事前の司法審査がなく、入管当局のみの判断で収容の諾否が判断され、事後的にも効果的な司法による救済が保障されていないこと(略)
③ 退去強制令書による収容には期限がなく、無期限の長期収容が可能であること】
【これら、条約違反(※2)の指摘を受け、条約に適合するように制度を改正するためには、次のことが必要である。
① 収容の要件を「逃亡すると疑うに足りる相当の理由」に限定すること
② 収容に事前の司法審査を導入すること
③ 収容の上限を定めること】/
◯国連特別報告者らによる共同書簡:
二〇二一年入管法改正案については、国連の移住者の人権に関する特別報告者、恣意的拘禁作業部会等による共同書簡が日本政府に送付された。
同書簡は、「出入国管理関連の理由による拘禁を含む全ての拘禁は、裁判官その他の司法当局によって指示・承認されなければならない」こと、裁判所に拘禁の適法性を問う権利は独立した人権であり、その欠如は人権侵害にあたるとされており、この権利は、自由を奪われている移住者、庇護希望者、難民、無国籍者を含む、すべての人々にも適用されるものであることを指摘した上で、改正案が規定する「収容に代わる監理措置」が過度に制約的であること、司法審査及び収容の上限が欠如していることに懸念を表明している。/
日本:認定数74、認定率0.7%/
ドイツ:38,918、25.9%/
カナダ:33,801、62.1%/
フランス:32,571、17.5%/
米国:20,590、32.2%/
英国:13,703、63.4%/
(「難民認定数の各国比較(2021年)」難民支援協会)/
(※2)条約違反:
◯仮放免中の就労について:
《青年 親父と俺だけ 仕事しちゃいけないの? (略)
青年 なんで?
職員 仮放免のルールだよ
青年 なにそれ 法律だから正しいの? (略)
どうやって生きていけばいい? 》
(映画「東京クルド」(監督:日向史有)より。)/
【そもそも、仮放免許可に付することのできる条件は、逃亡防止のためのものに限定され、就労禁止を条件とするのは違法である。(略)
在留資格のない者については、生活保護の受給資格も否定されており、(略)就労を禁じることは生存権そのものを奪うことに繋がる。
名城大学の近藤敦氏は、この点、「退去強制できない仮放免者が生活する上では、労働か社会保障の受給が認められなければならない。退去強制できない無国籍者を仮放免しながら、労働も社会保障の受給もともに認めないことは、ホームレスとしての困窮生活を強いる『品位を傷つける取扱い』といえ、日本国憲法一三条に反する」としている。(略)】/
《正直なところ日本の難民政策は日本にとって国家的な恥だと思う》(ハーバード大学フェイザー博士。BS・TBS:報道1930、5月17日の放送より。)/
この国の水はとても冷たい。特にアジア・アフリカ出身者には。
山村淳平『入管解体新書』
この国の入管・収容体制の非情さ、その非人間性に怒りを禁じ得ない。/
◯収容所での死亡者数(1993年〜2022年):26人/
死因:病死(脳血管疾患や心筋梗塞など)16人、自殺8人、暴行死2人/
国籍:イラン3、フィリピン3、ベトナム3、中国2、インド2、ナイジェリア2、ガーナ2など。/
なぜか、アジア・アフリカ国籍の人がほとんどである。その根底には、アジア・アフリカ出身者への抜きがたい差別と蔑視が存在しているのではないか?/
◯原因、治療体制:
収容者が症状を訴えても、職員は最初から詐病と断じ、病状が悪化しても外部の
医療機関へ繋げていない、急変しても(死亡しても)気づかない、救命救急措置が不十分で救急車を呼ぶのがおそい、入管医師の診療内容が不十分など。/
◯もみ消される国家の犯罪:
【こうしてみると、法務省入管・警察・検察・裁判所は、四重の罪をおかしている。
第一の罪は、スラジュさんの件では、日本人と結婚しているにもかかわらず、在留資格をあたえず、外国人収容所に2回も長期間収容したことである。ウィシュマさんの件では、DV被害にあっていたにもかかわらず、保護をおこたり、収容したことである。
第二の罪は、彼/彼女らを死にいたらしめたことである。
第三の罪は、死亡事件がおきても、ながいあいだ事実をかくしとおしていたことである。
第四の罪は、加害があきらかなのに、検察が入管職員を起訴していなかったことである。】(第3章 無言の人びと)/
◯入管職員の意識:
【わたしたちの仕事は、“不法”外国人を収容し、送還することです。
収容所内で暴力がはびこっても、収容者が自殺しても、難民申請者の強制送還がおきても、入管職員は、罪の意識をかんじていない。病状がわるくなった収容者を医療につなげなくても、彼らは平気でいられる。強制送還後の難民迫害について、想像すらしないだろう。なにより優先するのは、(略)「収容し、送還すること」である。その仕事は、国家と法律で保障されている。
この点に、じつはおおきな問題がひそんでいる。法律の枠ぐみで異民族への非人間的な行為が正当化され、国家の命令で忠実に仕事をこなす職員が「おだやかな人たち」であっても、冷酷な性格へと変質し、野蛮な行動へとかりたてられるからである。ナチスのユダヤ人強制収容所伸晃おぞましい出来事は、まさにこれであった。】(第7章 外国人収容所とはなにか)/
この国の暴力は、弱者のみに対して特別権力関係の下で、密やかに執行される。
凡庸な悪ーーアイヒマンの子らは、戦後の永い年月を生き延びたのだ。
だが、大村、牛久、名古屋、東京のアイヒマンたちにも、唯唯諾諾と違法な職務命令に従ったことが裁かれる日が必ずや訪れるだろう。/
入管の収容施設の実態について読んでいると、フランツ・カフカ「流刑地にて」の処刑機械のイメージが脳裏に浮かんでくる。
ただ一つ異なっているのは、入管・収容システムの方がいくらか緩慢な過程であるということだけだ。/
◯蛇足:入管法改正案について:
【注(三)日本でも、おなじ現象がみられる。入管収容問題をとおして、政府とつながりのふかい移民・難民の支援団体(略)の行動にはっきりとあらわれている。政府からの資金獲得のため、入管収容問題をさけるのである。そうした態度では、日本政府の補完団体として利用される運命となろう。】(第6章 となりの国では)/
《入管庁は、「送還忌避者」への対応を強化し、3回目以降の難民申請者の送還を可能にしようとしている。何度も難民申請をするのは「乱用」ではなく、適正な認定実務がなされていないからだ。
国際機関から勧告を受けているように、収容の際に裁判所が関与する「司法審査」や収容期間の上限を設定することが必要だ。これらを導入せずに、入管が送還できる権限だけを強める改正案を出してくるのは本末転倒だろう。》(「全国難民弁護団連絡会議」代表の渡辺彰悟弁護士。2023年4月13日、朝日新聞デジタル「難民は少ないのか、認定基準が高すぎるのか 入管法、割れる賛否」)